足袋の歴史1…襪(しとうず)

History of Tabi1(Ancient Japanese socks "Shitouzu")

 襪(しとうず・しとうづ)は、応神天皇の頃(西暦400年頃)、装束や他の文化と共に大陸 から入ってきたとされている古い履き物である。旧仮名遣いでは“したうづ”と書き、“したぐ つ(下沓)”が訛ったものとされる。貴族の装束である束帯や直衣(のうし)には、草履ではな く現在でも神社での神事の際に見かけるような浅沓(あさぐつ・あさくつ)や“かのくつ” (=革華←この字です)などの和沓が用いられていたが、“したぐつ”という名前の通り、和沓 の下に現在でいう靴下(ソックス)の役割として用いられていたのが襪である。平安時代以前の 貴族は草履を用いなかったため、親指を分けた履物を用いる必要はなく、そのため襪は足袋より 靴下や大陸の伝統的靴下(中国の襪、朝鮮半島のポソンなど)に近い形である。
 江戸時代まで使用されていた襪は、底のある仕立て方を行う足袋とは異なり、2枚の布を 縫い合わせ、足首のところを紐でしばる、大陸の伝統的靴下に近いスタイルのものであった。素 材には、錦、麻、白平絹、白練緯などがあり、身分や儀式によって使い分けられていた。また、 特殊なものとして革製の襪があり、蹴鞠や舞楽に使用されていた。
 襪は、文献では『古事記』の中で既に確認でき、『養老令』の衣服令では、当時の貴族の最高 礼服であった“礼服(らいふく)”には錦の襪を、通常服であった朝服には(平絹の)白の襪を 用いるとの規定があった。また正倉院にも、白の襪が遺されている。この襪は紐が後ろについて おり、江戸時代頃の紐足袋とは異なるスタイルになっている。
 平安時代以降に着用された男性の宮廷装束“束帯”は、朝服から発展したものであるため 、足には朝服の伝統に則り、白襪を履くとされていた。しかし、男性貴族の日常服であった直衣 、狩衣やいわゆる十二単のような女性の装束では、長袴や指貫といった袴の中に足が入り込んで おり、足が直接外に出ることはないため、通常は襪を着用できず宿老(しゅくろう)と呼ばれる 高位の人や老人は、勅許を得て襪を履く事ができるとされていた。この制度は、一度勅許を貰う と脱ぐときも勅許を必要とするという厳格なものであり、後には襪御免の制度と呼ばれることも あった。

束帯姿@葵祭
束帯姿のみなさんの靴@葵祭
平安期以降用いられている束帯です
こちらは江戸期以降の仕様のもの
束帯に用いられるかのくつ(=革華)です
昔は草履ではなく靴が用いられていたのですね
錦の襪

平安前期に用いられた朝服を模したもの
2枚仕立ての襪を用いています
礼服に用いられたとされる錦の襪
足袋との仕立て方の違いが分かりますか?

 足袋成り立ちに関する説の一つとして、庶民の間では足の親指に引っ掛けて履く草履や草鞋が普 及していたが、指股の無い襪で草履や草鞋は履けないため指股をつけた襪が開発され、それがやが て現在の足袋に発展していったという説がある。しかし当時、襪は貴族の履物であり、庶民の間で は革製の履物が多く使用され、また依然履物を用いていない人々も多かったため、襪が足袋の誕生 に直接の関係があるかどうかは分かっていない。とはいえ仕立て方が異なっていたものの、明治時 代頃まで使用されていた足袋は、襪と同じく鞐の変わりに紐で結び、また筒の部分が長いという特 徴は同じであったことから、襪が足袋の発展に何らかの影響を与えたことは十分考えられる。
 時代が下り、室町、江戸時代に入ると、公家の間にも足袋を用いる習慣が広がり、襪はあまり用 いられなくなった。それでも江戸時代末期までは、公家だけでなく高位の武家や神職、僧侶にも、 儀式などに白平絹の襪が用いられており、年齢や階級によって襪を用いるのに許可を必要とする“ 襪御免”という制度も残っていた。天皇即位の儀式には礼服(らいふく)を着用するという定めも 依然存在していたため、錦の襪も用いられていたとされているが、困窮する下級公家は通常の装束 を手に入れるのにもさえ苦労しており装束のレンタルも存在していたようで、実際にどれだけ錦の 襪が用いられていたのかは定かではない。
 明治時代になると、“礼服は中国風である”という理由で礼服が廃止されため、それに伴い 錦の襪も廃止された。しかし儀式には国威高揚の意味もあったのか軍服や洋服だけでなく依然束帯 などの装束も用いられることとなったため、白平絹(へいけん)の襪はその後も用いられている。 また江戸時代までは襪は足袋と異なり2枚の布を縫い合わせる独特の仕立て方がされてきたが、 この製法で作られた襪は縫い目が足底を通り履き心地に違和感があったため、明治時代以降は履き 心地を重視し、足袋と同じように底のある仕立て方がされるようになり、経費節減の面からか、臣下 には木綿製の襪も用意されるようになった。


左側には錦の襪
右側には平絹の襪が展示してあります
近年の儀式に使用された襪です
人知れず本格的な襪が使用されています
儀式に使用された平絹の襪(しとうず)
束帯姿のみなさんの靴@葵祭
同じく儀式に使用された襪
流石に絹製は輝きが違います
祭にかのくつが使用されることも
これだけ並ぶと流石に壮観です

 襪は一般的にほとんど知られておらず、また用いられることもまずないが、束帯、十二単を始め とする装束を着用し執り行われるような重要な儀式には、今でも人知れず伝統に則り襪が用いられ ている。これらの儀式に使用される襪は、素材には白平絹を使用し、紐足袋のように鞐の変わりに 紐が付いている伝統的なものである。また、社寺での儀式や蹴鞠、雅楽、舞楽の発表会においても 襪が使用されることがあり、宗派によっては神事、仏事、祭りなどにも用いられている。一部の社 寺では、現在でも恒常的に襪が用いられている。伊勢神宮では神事には襪、日常には足袋と足元か ら聖と俗を区別するために、襪と足袋を使い分けている。昔から上流階級のみで用いられ、今でも 人知れず意外に多く使用されているのが襪であるといえよう。ちなみに、以前は裸足が原則とされ ていた直衣、狩衣にも、現在では必ず足袋か襪を着用するように定められている。

※ ちなみに、正しい仮名遣いは“しとうず”ではなく“しとうづ”ですが、一般的には、“しと うず”が多く(というよりほとんど)使用されています。詳しくは当TABIの博物館内の“襪”のペ ージをご覧下さい。
“足袋の歴史”のページの中には、“束帯”“狩衣”(そくたい、かりぎぬ)など装束 (しょうぞく)の名前が出てきます。言葉の意味サッパリ分からない場合、“漢字の意味と 読み方”やネット検索をあわせてご覧になると、分りやすくなります。最も足袋の歴史なんて所を 下まで読まれるような着物通の方にとっては“何馬鹿なこと書いてんだこいつは!!”という感じ だと思いますが(^^;



       

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