琉球・沖縄の足袋
The Tabi of Ryukyu and Okinawa


足袋何ら関係もない沖縄の海中写真。載せたかっただけ(汗

足袋の伝来
 近世以前は独立王国であった琉球においても、日本(注1)と同じように足袋が用いられていた。 琉球における足袋は、17世紀末に日本から伝わったものといわれている。18世紀初頭の清国の琉球見聞録としてまとめられた 「中山伝信録」には、足袋についての記録が確認できる。
 時代が下るにつれ、足袋は王族(按司部)や士(サムレー・士族)が用いるようになった。 琉球において足袋が普及したのは、伝統衣装として靴と靴下のような履物を用いていた大陸や朝鮮半島と比べ、 琉球は日本と同じく高温多湿の島国で草履のような履物が普及しており、靴を用いると蒸れて不快であったからと考えられる。

士分への足袋の広がり
 琉球・沖縄の服飾文化考1(注2)によると、足袋を用いることができたのは、 親方(ウェーカタ)と呼ばれる上級士分以上のみであり、親方は黒足袋、王族である按司以上は白足袋を用いていたとあるが、 里之子と呼ばれる下級士分が、足袋を用いていたことが分かる絵画も遺されており、実際にはもう少し幅広い士分の人々に 用いられていたと推測できる。

 あわせて近世末期琉球を訪れた西洋人が撮影した古写真からも、琉装(注3)をした役人が、 足袋を用いている様子が確認できる。
 ただし冊封の儀式など、明や清との関わりが深い儀式を行う際には、王をはじめ一部の上級役人は、 皇帝から贈られた装束を着用したため、草履ではなく靴を用いていた。靴の下には大陸の靴下のような履物を用いていたのか、 あるいは足袋を用いていたかについては定かではない。
冊封の儀式を再現した様子
国王(中央)は靴、左右の臣下は草履に足袋です
(提供写真、下記参照)
琉球王朝の古式行列の再現
写っていませんが国王、王妃も白足袋を用いています
(提供写真、下記参照)

近世の足袋の特徴
 管理人が確認した限り、絵や古写真に写る人物が用いている足袋は全て白足袋であり、 琉球における足袋は白足袋が中心であったことがうかがえる。これは足袋は主に士分の容儀用としてのみ普及したため、 庶民も足袋を用いていた日本のように、耐久性向上や身分管理を目的とした、藍染めなど染色された足袋が普及しなかったためと考えられる。
 このころの足袋は、江戸時代の日本が用いていたものと同じく、こはぜではなく紐で留める、 長いタイプのものであったと考えられるが、絵図や古写真からは確認できない。

女性や庶民と足袋
 また王妃をはじめ、王族や上級士分の女性も足袋を用いていた。ただし、容儀や保温、そして足の保護を目的とした作業用として、 一般庶民にも足袋の使用が広まった日本に比べて、琉球は暑い期間が長く冬の寒さが厳しくないためか、 庶民は専ら素足や素足に草履履きであったようである。
 そのほか、巫女は白衣に緋袴、そして白足袋という印象が強いように、日本において神事を司る人々は白足袋を用いていたが、 琉球の神女(ノロ)は素足であったことが、古写真や絵画などからうかがえる。僧侶は琉球においても足袋を用いていたと考えられるが、 現在のところ絵画や古写真で確認できていない。

琉球舞踊で使われる赤い足袋
首里城御庭と琉装をした案内の方
足袋履きですが日が強すぎて見にくいのは内緒で…
琉球舞踊で使われる底まで真っ赤な足袋
大阪製なのはやっぱり内緒の(以下略


近代以降の足袋
 近代以降、沖縄では洋服の普及に加え、礼装に和装を用いる習慣も広がったため、琉装は次第に影を潜めていった。 しかし近年琉球文化の見直しが進み、琉装での結婚式や、琉装体験も次第に広がってきており、 琉装には白足袋が欠かせないものとなっている。

 現代にまで伝統が引き継がれている琉球舞踊においても、琉装と併せて足袋が用いられているが、その際には白足袋だけでなく、 赤色に染められた足袋が用いられることもある。赤色の足袋はかつて、王宮に仕えていた少年や、 女踊りをする男性の踊り手が用いていたものといわれており、現在でも若衆踊や女踊で用いられている。
 濃い赤の足袋は、黄色や赤など原色の色合いが強い紅型と合わせて、舞台上で足元を一層際立たせることとなり、 現在の沖縄で使用される足袋の中で、特徴的なものとなっている。

旗頭
旗頭と足袋
那覇で行われる旗頭の様子
揃いの衣装に黒の地下足袋がよく映えます
(提供写真、下記参照)
旗頭は50kg前後と大変重いとのこと
足袋が安定性確保に貢献…してるかも
(提供写真、下記参照)


祭り・作業と地下足袋
 加えて、沖縄における祭りにも、地下足袋が多く用いられている。例えばエイサーでは、打掛、サージ、脚絆といった衣装に加えて、 足元には黒や白の地下足袋が用いられることが多い。揃いのムムヌチハンター(股引半套)を身にまとう旗頭は、 多くの場合足元には黒の地下足袋が用いられている。
 また当然ながら鹿児島以北と同じように、建設作業や農作業などに地下足袋が用いられている。 本土よりさらに高温多湿で冬の寒さも厳しくない沖縄では、長靴や作業靴を用いるより、その有用性が活かせるものと考えられる。

 以上に述べたように、琉球・沖縄においても、足袋は近世より用いられていた伝統的な衣装の一つであり、 近代以降着用されるようになった和装に加え、琉装や祭りにも欠かせないものとなっている。 作業には地下足袋が用いられており、今後も足袋や地下足袋が用いられ続けていくものと考えられる。


(注1…このページにおいては、近世以前の沖縄は薩摩藩の支配下にあったとはいえども独立王国であったことを考慮し、薩摩以北の 地域を「日本」、現在の沖縄地域を「琉球」または「琉球王国」と表記します。近代以降については「沖縄」と表記しています。 政治的な討論はこのページではなく専門のページへ行ってくださいm(_ _)m
(注2…植木ちか子著、風俗史学13号、2000年、72〜94頁所収。
(注3…琉球の伝統衣装のことは、日本の和装に対して「琉装」と呼ばれています。大陸や朝鮮半島の衣装よりはかなり和装に近いですが、和装と比較するとやはり違います。



写真提供:島の風景がいちばんのごちそう♪Takuye Network(http://www.takuye.jp/)様
背景(首里花織風壁紙)提供:オキナワン スタイル(http://www.okinawanstyle.com/)様




     
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