−人力車と地下足袋− 観光地でみかける人力車 最近観光地に行くと、よく人力車をみかけますよね。人力車は、明治2(1869)年、和泉要 助、高山幸助、鈴木徳次郎らが発明した日本独特ののりもので、明治期には全国に広がるだけでな く、海外にも輸出されましたが、馬車や鉄道、そして自動車の普及に伴い、次第に姿を消していき ました。しかし10年ほど前に、京都嵐山や高山などの観光地において、人力車を利用し歴史的な 街を巡るという観光が注目され、事業展開されました。歴史的なまちなみを歴史的な乗り物で散策す るというスタイルが観光客の間で評判となったため、その後全国の観光地で人力車が取り入れられ 、今では、小樽、川越、浅草、鎌倉、奈良、道後温泉、山口、門司、湯布院など、主要な観光地で はどこでも人力車を見かけるようになり、すっかり観光地名物となっています。 人力車の車夫の方は多くの場合、法被、紺の股引、(場合によっては腹掛と笠)そして地下 足袋という姿で人力車を引いていらっしゃいます。どこの街でも“地下足袋”という姿が人力車車 夫のトレードマークになっているようで、 観光案内やホームページ上の日記には、よく“地下足袋を履いた車夫の方が…”という記述が見ら れます。この姿は、明治期頃に活躍していた人力車車夫の格好を取り入れられたと考えられますが 、実は当時の車夫の方は、法被に紺の股引、腹掛という部分までは合っているものの、足元に関し ては足袋跣(普通の足袋でそのまま外を歩く状態)であり、地下足袋は用いていませんでした。耐 久性という点を考えると、恐らく刺し子の足袋や革が当てられた足袋が使用されたことでしょう。 当時、地下足袋はまだ開発されていませんでしたから、当たり前といえば当たり前です。
現在では、舗装された道を足袋跣で歩くのは危険ですし、雪駄や靴を使用していては人力車 を引いている最中に脱げてしまう可能性もありますから、地下足袋を用いるのは大変有効的です。 車夫が使用される地下足袋は、地域によっても異なりますが、人力車車夫は一日中アスファルトの 上を走り回り、使用頻度が高いことから、走りやすいが破れやすい縫い付け足袋ではなく、丈夫で な上に走りやすいジョグ足袋を用いる場合が多く、強度を優先し、貼り付け足袋が使用される事もあ るようです。しかし、なにせ現在は道がアスファルト舗装されているため、足に負担がかかり、続 けられない車夫の方も多いとのこと。 ちなみに、人力車観光の先駆けとしても知られる高山の車夫の方は、冬になると、なんとス パイク足袋を用いておられます。高山は雪が多いので、スパイクで滑りにくく通常の足袋より防水 性の高いスパイク足袋を用いているのだと思われますが、いくら人力車車夫といっても、他の町の 方は、雪や雨の時は長靴を用いることが多いだけに、気合とこだわりが感じられます。
(地下足袋博物館へ) (TABIの博物館へ)
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