足袋の歴史4…明治維新以降

History of Tabi4(Tabi in modern era and today)


 明治時代になると、都市部を中心に一般の人々の生活水準も次第に向上し、多くの人が足 の保温や容儀を整える為に常装として足袋を用いるようになった。また紐足袋に変わり、真鍮や 象牙を使用した鞐の足袋が一般化していったが、明治末期頃までは山村を中心に手作りの紐足袋 も多く用いられており、この頃までに、前に紐2本という紐足袋スタイルが確立した。また足袋 底には、それまで丈夫な石底や刺底も多く用いられてきたが、見栄えがよくないため現在でも多 く用いられている雲斎織や綾織の底が用いられるようになった。
 明治後期から戦前期には生活水準がかなり向上し、また現在より和装が多かったため、コ ール天の足袋、ネル裏の足袋が発売され、足袋がいっそう普及した。摩擦に強く暖かいコール天 の足袋は明治後期頃広く普及したが、見た目が悪かったため、次第に朱子足袋や、新たに大正期 になって発売された別珍足袋に変わっていった。ここにきて、鞐掛け、綿製という現在の足袋の スタイルが確立した。
 また作業用には、それまでは革足袋や底を厚手にした木綿足袋を用いたり、裸足、わらじ 履きで作業することも多かったが、大正期頃に底にゴムを貼り付けた地下足袋が考案され、作 業用の履物として広く普及していった(詳しくは次項参照)。

明治期 紺足袋
明治期 刺子足袋
長野県大鹿村で使用されていたといわれる足袋
ネル裏の紺足袋ですが、時代を感じる2枚鞐です
明治末期の労働用の足袋
刺子底、紐足袋のスタイルが残っています

紐足袋 明治末期
明治末期まで残っていた紐足袋
裏が黒いのは、実用性?それとも農村部ではこれが一般的?



 しかし、昭和期に入ると、戦争に向かうにつれて次第に物資が乏しくなり、日用品である足 袋を手に入れるにも苦労するようになっていった。一部では“スフ“といわれる化繊の足袋が配給 されるようになったが、この素材は非常に弱く、一度洗濯をするだけでボロボロになってしまうほ どであった。また戦前までは寺社での儀式には襪が、作業用には革足袋がまだ多く用いられていた が、物資不足になると、これも白足袋、地下足袋で代用されるようになった。さらに足袋の型が 統制され、配給製になったため全国で同じ型の足袋が手に入るようになった一方で、地方独特の 足袋や職人技が失われていった。
戦時中用いられた地下足袋
戦時中に用いられた地下足袋
 戦後、次第に混乱から回復すると、綿足袋もまた作られるようになり、ナイロンなどの化繊素 材を使った足袋も販売されるようになった。1950年代頃までは常装や防寒用として洋装にも 足袋が用いられており、普段着や寝るとき、そして運動会にも足袋が利用されていたが、196 0年代頃になると次第に靴下に取って代わられた。
 現在では足袋の値段も上がり、以前のように普段履きとして足袋を用いることはほとんど 無くなり、見かける足袋の種類も減ってしまった。しかし着物を着る際はもちろん、伝統芸能、 武道に従事する際や祭りには白足袋や色足袋が用いられ、園芸や土木作業、そして祭りには多く 地下足袋が用いられており、街中でも見かけることができる。日本の中に、足袋はまだまだ根付 いていると言えよう。
 そしてインターネットの普及で、柄足袋や色足袋など需要の少ない足袋も注文を全国から 受けられるようになったため、柄足袋や紐足袋を生産する会社も増え始めており以前より手軽に 手に入れられるようになった。日本の伝統的な履物として、また新鮮な感覚としてお洒落な足袋 を提案するデザイナーも増えてきており、“足袋の復興”とまではいかなくても、日本伝統の履 物“足袋”を履く人が少しでも増えてもらいたいものである。



ここまでの参考文献…足袋沿革史、江戸服飾史 他
詳しくは“参考文献一覧”をご覧ください


            

   


<取材協力:日本はきもの博物館様> <Special Thanks to:こちまっぷ様>
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